花王株式会社 作成センター 第1ブランドクリエイティブ部 第1ブランドクリエイティブ部⻑
簑部 敏彦
花王株式会社にコピーライターとして⼊社。ヘアケア・スキンケア・ファブリックケア・ホームケア・化粧品など、ブランドのマーケティングサポート及び広告コミュニケーション企画・制作を担当。クリエイティブディレクターを経て、2020年より現職。JAA クリエイティブ委員会、ACC賞 マーケティング・エフェクティブネス部⾨の審査委員⻑(第62回、第63回)など。
花王株式会社 作成センター 第1ブランドクリエイティブ部 クリエイティブディレクター・アートディレクター
杉本 健
多摩美術⼤学グラフィックデザイン学科卒業後、広告デザイン制作会社を経て花王株式会社⼊社。現在「マジックリン」「キュキュット」「ハミング」「ワイドハイター」などホームケア・ファブリックケアブランドの広告コミュニケーション開発、デザイン業務を担当。
本当の意味でナンバーワンになるために
2020年頃から、キュキュットには「本当の意味でナンバーワンを目指そう」というマーケティング上のチャレンジがありました。
販売シェアでは1位を獲得していましたが、競合との差は徐々に縮まりつつありました。また「食器用洗剤といえば何を思い浮かべますか」と聞くと、キュキュットは想起で1位ではない。シェアは1位なのに、生活者の頭の中では異なっている。
好調のうちにそのギャップを埋めることができれば、本当の意味でナンバーワンになれるのではないか。そして、それが将来的なシェアにもつながっていくのではないか。そんな議論が6年ほど前に起こりました。
キュキュットはブランドサイトで「Happy Wash! Happy Kitchen!」というパーパスを掲げていました。しかし、「食器洗いでハッピーになることが、本当にブランドの価値を言い当てているだろうか」「生活者にとって実感のある言葉として受け取られるのだろうか」といった議論が社内で重ねられました。
もちろん、目指す方向や考え方としては間違っていないと思います。ただ、コミュニケーションを考えるときには、生活者が日々感じている体感や感覚に照らし合わせながら、そのブランド価値をもう一度咀嚼する必要があるのではないか。そんな問題意識がありました。
機能だけでは選ばれない時代に
「嫌いな家事」をテーマにした調査を見ると、食器洗いは必ずといっていいほど上位に入ってきます。実際にSNSを見ても、「食器洗いはストレスがたまる」「本当に頭を使う」といった声が多く見られます。
「おいしくご飯を食べた後に重労働が待っている」「時間を置くと汚れが固まって落ちにくくなる」など、食器洗いに対してポジティブな印象を持っている人は決して多くありません。
一方で、製品機能は年々コモディティ化しています。
もちろん、泡立ちや泡切れ、汚れ落ち、除菌といった機能は重要です。しかし、各社の製品が進化する中で、その差を生活者が実感しにくくなってきているのも事実。機能訴求は必要ですが、それだけでは十分ではないですし、他社との明確な違いをつくることが難しくなっていました。
生活者視点で「気持ちを軽くする」コミュニケーションへ
そこで、2021~2022年頃にリブランディングを行いました。それまでは機能を中心に訴求していましたが、食器洗いの負担は、単に汚れが落ちる・落ちないという話だけではないのではないかと考えました。
「こうやって洗わなければいけない」「こういう順番で洗わなければいけない」といった思い込みが、食器洗いの心理的な負担につながっているのではないか。そこで、その思い込みから少し気持ちを軽くする価値提案へとシフトすることをリブランディングの核としました。
リブランディング当初の広告ではたとえば、「フライパンの重い汚れは最後に洗わなきゃいけない」――そんな食器洗いの常識に対して「そんなことは考えなくていい」というメッセージを打ち出しました。
もちろん、その背景にはキュキュットの高い洗浄力があります。最終的には機能に帰着するのですが、「こうしなければならない」という負担から解放できること、そのための高い機能であることを伝えるコミュニケーションへと変えました。
その結果、シェアを含めて数字も改善していきました。
この価値を見つけるまでには本当に苦労しましたが、一度整理できると、ブランドとして伝えるべきことが非常に明確になりました。「Happy Wash! Happy Kitchen!」という考え方自体は変わっていません。ただ、それを生活者の気持ちや実態に合わせて再解釈しながらコミュニケーションしています。
展開メディアによって表現やアプローチは変えていますが、根底にあるのは、食器洗いに対する負担や「ちょっと面倒だな」という気持ちを少し軽くすることです。どの施策も、最終的にはその価値につながる構造になっています。
そして、お弁当づくりからの卒業というテーマも、こうしたキュキュットのパーパスやコミュニケーションの流れの中で展開しているものです。
「お弁当づくり卒業証書」の始まり
毎年卒業シーズンに広告展開をしている「お弁当づくり卒業証書」キャンペーンは、もともと2018年の雑誌広告が始まりです。
当時、花王の作成センターでは、インハウスクリエイティブの底上げを目的とした雑誌広告プロジェクトを行っていました。社員がそれぞれ企画を持ち寄り、社内競合を勝ち抜いた案が実際に掲載される仕組みで、私も参加していました。その頃、私はまだキュキュットの担当ではありませんでしたが、花王のどのブランドを選んでもよいというルールでした。
アイデアを出している時、SNSで「今日が最後のお弁当だった」という投稿を見かけました。いつも通りお弁当を作って子どもに渡したら、空っぽになったお弁当箱の中に感謝の手紙が入って返ってきて、思わず涙がでた、という内容でした。多くの人が共感のコメントを寄せていて、私自身もすごく心に残ったんです。
振り返ると、自分も親にお弁当を作ってもらっていたのに、それがいつ終わったのか考えたこともありませんでした。親もきっと、「今日がお弁当づくりの最後の日だ」と意識していたわけではなかったと思います。でも、最後のお弁当の日というのは確実に存在します。それなのに、その節目が何気なく通り過ぎてしまうのは、少しもったいないし、どこか寂しい気もしました。
そんな中で、キュキュットが「これまでのお弁当づくり、お疲れさまでした」というメッセージを届けられたら素敵なんじゃないか、と思ったのが出発点です。
私はデザイナーなので、まず絵からアイデアを考えます。お弁当箱が卒業証書になっていたら面白いんじゃないか、そんなことを思いながらアイデアスケッチを描きました。それが2018年の雑誌広告につながりました。
その後、コピーライターの先輩が素敵なコピーを書いてくれました。最初のアイデア段階では、キュキュットとの接点はそれほど強くありませんでしたが、「がんばってきたあなたと、がんばってきたお弁当箱のそばに。」という一文を加えてくれたことで、ブランドとのつながりが生まれました。
掲載されたのは1誌だけでしたが、「報われた気持ちになって泣きそう」「全国のお弁当を作っている人たちに見てほしい広告」といった声をいただきました。
自分たちが伝えたかったことが、自分たちのことを知らない人たちにも届いて、それぞれ何かを感じてもらえた。そのことがとてもうれしく、印象に残っています。
施策がブランドの目指す方向と重なった
この施策のポイントになったのが、「ブランドパーパス×施策」だったと思います。
その後、私がキュキュットの担当になり、リブランディングに携わることになりました。キュキュットでは、食器洗いの負担を減らすだけでなく、生活者の気持ちを少し軽くするブランドを目指そうという考え方を打ち出していました。
そのことを考えていたときに、ふと2018年の雑誌広告でいただいた感想を思い出したんです。
「報われた気持ちになった」とか、「泣きそうになった」といった反応は、まさに生活者の気持ちを少し軽くすることにつながっているのではないか。そう考えたとき、この施策はキュキュットが目指している方向と重なっていると気づきました。
雑誌広告は通常、一度掲載して終わりです。でも、この施策は今のキュキュットの考え方にもすごくフィットしているし、生活者からも良い反応をいただいている。だったら、単発で終わらせるのではなく、キュキュットにとって意味のある取り組みに育てていけないかと考えました。
私自身、他社の栄養食品ブランドが受験生を応援するキャンペーンを長年続けていたり、エナジードリンクブランドが挑戦する人たちを応援し続けていたりする取り組みが好きなんです。
そうした活動は、直接製品を売るためのものではありません。それでも続けることで、「このブランドはこういうことを大切にしているんだな」「こういう世界を目指しているんだな」ということが生活者に伝わっていきます。そして、その考え方に共感してもらえれば、ブランドそのものを好きになってもらえる。ブランドが大切にしている価値が生活者に共有されることで、ブランドは少しずつ強くなっていくのだと思います。
キュキュットの「お弁当づくり卒業証書」も、そんな存在になれたらいいなと思いながら続けています。
この施策の面白いところは、毎年続けているにもかかわらず、同じキービジュアル、同じコピーを守り続けていることです。動画でも静止画でも、どんな形になっても、伝えるメッセージは変えていないんです。
広告をつくる側としては、毎年違う表現をやりたくなりますし、去年より新しいことをしたくもなります。
ただ、お弁当づくりを卒業する人は毎年変わります。だから、この広告を届けたい相手も毎年新しくなっていきます。
だからこそ、メッセージを変えず届け続けることが大切だと思っています。新しい表現に変えたくなる気持ちはありますが、同じキービジュアルとコピーを守り続けているのも、この施策の大切なポイントです。
続けるために「自分たちでつくる」
ただ、こうした施策は売上への直接的な効果が見えにくいので、ブランドとして毎年投資を続けることは簡単ではありません。
コロナ禍では、さまざまな取り組みを見直す中で、こういった施策は真っ先になくなりやすいものでした。
制作予算を十分にかけられない。でも、この施策はブランドにとって、続けること自体に意味があると思っていました。どうすれば続けられるのか。この施策で本当に大切にすべきことは何なのか。そして、自分たちだからできることは何なのか。ブランドやチームが置かれている状況を考えながら、たどり着いたのが「自分たちでつくっちゃえ」という方法でした。
制作予算を抑える必要があるのであれば、CD、AD、コピーライティング、デザインだけではなく、撮影や編集、フードスタイリング、プランニングまで、できるところはできる限り自分たちでやる。そんな方法をとりました。
撮影場所も私の自宅です。社員3~5人で集まり、近所のスーパーで食材を買ってきて、とにかく制作コストを抑えています。媒体費を確保できる年もあれば、そうでない年もあります。それでも、自分たちのアカウントで動画やクリエイティブを発信するだけでもいい、というくらいの気持ちで続けてきました。
何より大事なのは、毎年お弁当づくりを卒業する人たちに、このメッセージを届けることです。そのために何を削れるのか、どうすれば続けられるのかを考えながら、毎年アイデアを出しています。
もちろん、すべてを自分たちでやるという話ではありません。案件や状況によっては広告会社や制作会社にお願いすることもあります。
その一方で、この施策のように、自分たちでつくることが最適なケースもある。内製もその選択肢の一つとして、状況に応じて取り組んでいます。
続けることで広がった共感
毎年続けていると、少しずつ社内での認知も広がっていきました。
広報のメンバーからも「協力したい」と賛同してもらい、発信を後押ししてもらえるようになりました。続けることで、ブランドとして投資する意味も見えてきて、「もっと多くの人に届けよう」と媒体出稿につながることもあります。
2026年はデジタル広告を撮り直しながら、交通広告のドア横ポスターも展開しました。ドア横ポスターは立ち止まって読んでもらいやすく、この施策の中心にあるコピーをじっくり読んでもらえる媒体です。
毎年続けている施策ですが、それでも「初めて見た」という声をたくさんいただきました。共感のコメントも多く、「続けてきて良かったな」と感じました。
特にうれしかったのは、広告を見た方がSNSで「お弁当づくりお疲れさまでした」「そうか、お弁当づくりにも最後の日があるんだ」と発信してくださり、その思いがさらに広がっていったことです。受け手が自ら言葉を添えて広げてくれるようになったのは、とてもありがたいことでした。
また、当初はあまり意識していなかったのですが、ジェンダーの観点から共感の声をいただくこともありました。家事や食器洗い、お弁当づくりというテーマは、「母親がやるもの」「女性がやるもの」といったイメージと結びつけて語られることがあります。
私自身、父親も母親もお弁当を作る家庭で育ったこともあり、作り手の性別を限定する表現にはしたくありませんでした。もしかしたら作っているのはお弁当を食べる本人かもしれないし、祖父母かもしれない。誰が見ても自分ごととして受け取れる表現にしたいと考えていました。
結果として、そうした意図を感じ取ってくださった方もいて、「お弁当を作るのはお母さんだけではない」という受け止め方が広がったことも良かったと思っています。
続けてきたからこそ、当初は想像していなかった共感や広がりが生まれているのを感じています。
ブランドが叶えたいことのために
キュキュットでは、「製品の洗浄力をどう魅力的に伝えるか」だけでなく、「食器洗いの負担から気持ちを軽くするブランドであり、そのための高機能で、そのうえで広告で何ができるのか」を考えてきました。
製品の機能や特長を伝えることはもちろん大切です。ただ、それだけではなく、そもそもブランドが目指していることをクリアにして、その実現のために広告に何ができるのか。生活者が抱えている本音、Human Truthsはどこにあるのか。そういった視点から切り口や表現を考えていくことも重要だと思っています。
「お弁当づくり卒業証書」も、まさにそうした発想から生まれた取り組みです。
食器洗いの洗浄力を訴求する広告ではありませんが、お弁当づくりを支えてきた人たちに寄り添い、「お疲れさまでした」と伝えることで、少しでも気持ちが軽くなったり、報われた気持ちになったりする。そうした価値は、キュキュットが目指していることとつながっていると思っています。
生活者のためにブランドは何ができるのか、そしてブランドが叶えたいことのために、広告で何ができるのかを考える。あるいは視点を変えて、人の真理といった「Human Truths」に目を向け、生活者の心や本音に迫り、ブランドとの接点を発見する。多角的な視点を行ったり来たりしながら、表現やコミュニケーションの切り口を探していく。
そうした思考を巡らせる広告づくりの中に、生活者の心に共感するためのヒントがあるのかもしれません。