株式会社電通 テクノロジーセンター グローバル開発部 部長
前川 駿
データアナリストとして、数多くのテレビ×デジタルの統合プランニング・効果計測を担当の後、2015年にテレビCMとデジタル広告の統合マーケティング基盤 STADIAを開発し、プロジェクトを牽引。企業間のデータコラボレーションを支援するデータクリーンルームの専門領域を開拓し、年間1,000件を超える運用体制/システム(Tobiras)を構築する。現在、大手プラットフォーム企業より投資を受け、Tobiras のグローバル展開並びにメディア関連のAI Agentやスマートホームデータ基盤の構築等、データ&テクノロジー領域の新規開発牽引。関連特許多数。
本稿では、AIを広義の知能技術全般と定義する。その中で、自然言語を理解・生成する中核モデルをLLMと呼ぶ。また、LLMを中心に外部ツールやデータと連携しながら自律的に業務を遂行する仕組みをAI Agentと呼ぶ。なお、本稿で主に対象とするのは、近年急速に普及しているLLMおよびAI Agentである。
はじめに~混在するAIへの期待と不安
AIが、広告/マーケティングの業務、業界全体を変革しつつあると言っても過言ではない。AIはLLMの登場によって、人間の自然言語をインターフェースとして扱えるソフトウェアへと進化した。
我々がこれまで活動してきた業務基盤(データ、ツール/テクノロジー)の上の「人間のコミュニケーション」とも言える業務フローを自動化し、マーケティングに新しい“価値“が拡がる未来を照らしている。
フランスのSF作家 ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)は、「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる。」と言ったそうだが、手塚治虫「火の鳥」で、昭和の時代から予期されていた世界が到達しつつあることにワクワクする。
一方で、私たちは、AIが作った企画書にもどかしさを感じたり、まだ正確性や再現性に不安もある。ましてや会社の業績を直結/左右する意思決定をAIに頼りすぎるのはまだ現実味がない。なんでもかんでもAIで解決するということは信用できない自分がいる。
また、人が石器を得たことで筋力を失ったように、どこかでAIに頼りすぎて、脳力を失ってしまいやしないか不安にもなる。AIが学習しやすいデータや情報を企業が整備・更新し続けることが大切だとも指摘されるが、人間がAIの好む学習データをせっせと作っている様子を想像し、SFホラーの風刺を想起してしまうのは私だけだろうか。
友人の某大学准教授がこんなことを言っていた。学生に対して、「LLMの回答を自分のアウトプットにしている奴の論文は見ない。LLMをインプットにして自分の思考をアウトプットしている学生の論文だけ見る。」人はLLMのもたらす業務効率化という名の思考停止の誘惑に弱い。
このように私たちはAIへの期待と不安の両方を抱えている。業務変革への期待がある一方で、重要な意思決定を任せるには不安も残る。私は実務を通じて、AIに担う役割の観点から、その課題とそれを解くカギを3つ考察したい。
①メディアプランニング×AI
②データ×AI
③AI×AI
メディアプランニング×AI。統計との組み合わせ
課題:数字の妥当性、透明性、正確性、再現性の担保
カギ:AI単体に判断を委ねるのではなく、既存の統計モデルや分析基盤と組み合わせる設計
メディアプランニングやメジャメントはその結果如何によって投資コストやマーケティング成果に直接的に影響する。例えば、メディアの予算配分を変えると、広告の基本指標とも言えるトータルリーチが+/-10%変化することはメディアプランニングではよくある。この10%の差はROIにも直結するからこそ、その結果に対しては、ロジックの妥当性、透明性、正確性、再現性が求められる。そこで実務で検証されてきたメディアプランニングは、100年以上この社会を支えてきた統計学に基づいていることが多い。統計は基本的には、“フォーミュラ“があり、数学よろしくアウトカムは係数と残差によって基本的には定まる。では、汎用LLMはどうか?少し実験をしてみた。
仮にアプローチしたいオーディエンスが男性20-49歳で、1億円予算で、KPIは1回以上リーチ、TVと大手動画媒体の2媒体の予算配分はどうすればいいかをいったんざっくりと聞いてみた。
皆様はこの結果をどう思われるだろうか?
これを先ほど私が紹介した実測に基づくリーチカーブデータ等を搭載した実務で検証されてきたメディアプランニングツールで解くとほぼ、逆の結果になっていた。
LLMに数字の違いを聞いてみると、電通の集計の方が正しいと認めた上で、「リーチを線形な単調増加で捉えていました」、「TVとYouTubeの重複関係を考えていませんでした」、「cTVの単価を考慮していませんでした。」等、LLM自身が間違えた理由を様々に推論してくれた。
そこで、汎用LLMに対して、リーチカーブ、CPM、重複の考え方等の基本的なデータや情報をSkillsとして入力し再考してもらうことにした。そうすると、
・・・かなり近い結果になった。なるほど!
念のため翌日、時間をおいてみようと思い、翌日もう一度、同じことを聞いてみたが、・・・。
今度は、電通のツールの結果とも、昨日の汎用LLMが出した結果とも微妙に違う回答が得られた。
昨日となぜ違うか?の理由は、今回は実務上の特徴を考慮したというやや曖昧な回答が返ってきた。
なかなか、AIの機嫌(温度パラメーター)は調整しても、回答が揺れうるようだ。いずれにしてもAIの説明は非常に説得力があるため、ぼーっとしているとそのまま信じてしまう。AI自身がハルシネーションを起こしていても、それに気づきにくい。
上記の実験から私は「メディアプランニングではAIは使えない」ということを言いたいわけではない。
この場合は、プロンプト設計やRAG(入力設計次第では相当に改善はされているものの)のみでは、実務ではまだ複雑な数理ロジックや業務ルールの再現性を十分担保できないケースもあるということだ。そこで、dentsu Japanでは、メディアプランニングAI Agentが出力する演算結果の再現性と信頼性を担保するため、AI からSkillとして特定のコードやツールを呼び出すTool Callingという手法を使っている。AI Agentにはあくまでツールを呼び出して、成形加工し、そしてツールを横断して全体を評価させることを担ってもらう仕組みとしている。
意外に複数の専門性を掛け合わせてツールを活用できる人もそこまで多くないことからして、様々なツールをAI Agentが呼び出すという構造は統合メディアプランニングの観点ではこれだけでも十分に意味があるように思う。
比較的、妥当性、透明性、正確性、再現性がある統計学が定量的な意思決定の根底にあって、LLMと統計がちょうどよいバランスで鎮座したAI Agentを作ることが実務においては肝要ではないだろうか。
ちなみに、全ての工程をLLMで実行した際(prompt/RAG型)と、演算処理をpythonコードに委ねて、それ以外をLLMで実行した際(Tool Calling型)の運用コストが約1.5(-2)倍程度違う(実務で数百〜数千回実行されるAgentでは運用コストにも大きな差が生じるため、Tool Calling型がコスト安)という点にも言及をしておきたい。
メディアプランニングにおいて重要なのはAIの賢さだけでなく、統計モデルとの役割分担である。
データ×AI。大きなAI Agentと小さなAI Agent
課題:AIを学習させるためのデータや情報が部署や組織で分散している
カギ:「まず小さな専門Agentを作り、後から全体統合する」アプローチ
①で言及したプランニング領域の信頼性を担保するための基盤とあるデータ×AIの領域について考察をする。意思決定に資するデータをAIにインプットするために、データ統合・連携の重要性が増しているようにも思う。ただ、そもそも部門間・組織間の連携やデータ統合を進めたいというニーズは、AI以前にもあった。人口減少、競争環境の多様化、生活者の嗜好性の変化を踏まえ、複数のプロダクトやサービスのクロスセル/アップセルを通じて、LTVを高め企業のファンを育てるというCRM活動の価値を高めるためだ。しかし、組織のミッションや文化の違い、データ環境の違い、同意許諾等の不明瞭さで、データを統合できず、経済的価値を生みだせないケースも少なくない。この課題の突破口として、AI に期待が集まっていると感じている。AI Agent同士を繋いで、意思決定を行うAI Agentにデータや情報をインプットするという構造だ。これまでのデータ基盤のレイヤーで一元化できなくても、その上の「コミュニケーション」という業務フローのレイヤーで統合し、AI Agent同士がデータや業務コンテキストを相互連携しながら意思決定を遂行する。AIは、本当に実務で使えるグループ企業間や組織の連携・統合の救世主となるだろうか?
ここで留意しておきたいのは、AI Agentを有用なものとするための業務知見・データそのものやその評価、管理、ガバナンスは、特定の部署・部門単位で執り行われているケースも多く、データの統合ありきだと、またデータの連携で話が止まってしまう。(コーポレートやデータの統合が期待される単位ではない)。そこで、私が考える現実的な進め方は、大きなAI Agentと小さなAI Agentの挟み撃ち作戦である。無理に異なる部署・部門でデータの統合を図ることに固執しすぎず、大聖堂(全体を取りまとめるオーケストレーターAgent)を描きながら、まずは部署ごとに最適化されたレンガ(専門AI Agent)を積み上げること。
結局は部署・部門の分掌(分断とはあえて言わない)は、組織の役務&責任やガバナンスの運用観点でよい面があるからこそ突破しづらいのであって、突破そのものが目的ではない。このことからしても、まずは実務が執り行われているご近所さん同士の部署間でAI Agentを分律型で構築し、そしてそれを並行して全体最適を担う部署で統合化を図るためのオーケストラ層を構築していくという方法が現実的なアーキテクチャーではないかと考える。
よくよく考えてみれば、“デジタルツイン”という言葉の意味は、ある意味の人間社会の鏡写しだとするならば、その組織構造もツインとして構築するのが早いということなのかもしれない。
もっとも、全体が先か、個別が先か。その両方を同時か。鶏卵の問題を解くのはなかなか至難の業ではある。
データ統合において重要なのは、全てを一元化しようとすることではない。統合できる単位で専門Agentを育てながら、全体をつなぐオーケストレーターAgentを並行して構築することである。
AI×AI。共進化を促すMarketing Agent Protocol
課題:自社のAgentだけでは顧客体験が作れない
カギ:企業の枠を超えたMarketing Agent Protocolを策定
②では、自社グループ企業や自社内のAI Agentのアーキテクチャーについて考察をしたが、Agentは社外のAgentとも連携することになるだろうか?私は、当然、社内・企業間でAgentが連携する時代には、MCPのような技術的な連携仕様に留まらず、マーケティング業界で特有の共通ルールも必要になると考えている。
広告/マーケティング業務は、1社だけで完結する仕事ではない。エコシステムとして複数の会社が協業しながら1つの顧客体験を作っている。今後、AI Agentが駆動する未来に向かうためには、アドバイタイザー、エージェンシー、メディア、プロダクション、リサーチ、データ・プラットフォーム等、様々な企業のより複雑な連携業務をAI Agentが履行しなければ成立しない。このような企業を跨ぐAgent間の安全、正確、信頼できる連携を効率的にスケールさせるためには、必要なルール/仕様/連携方法の検討が必要と考える。広告主にとっても、今後は複数のパートナー企業のAgentをどう統制するかが重要なテーマになるのではないだろうか。
dentsuJapanではその一例としてMarketing Agent Protocolの検討を進めているが、広告主(アドバタイザー)が最終的に意思決定に繋げるためには以下のことへの対応が必要だろう。
-a) 根拠/論拠
どのようなデータや情報に基づき、その結果が出力されているか
-b) データ連携
どのようにAI Agent同士がデータを共有しあうか
-c) トレーサビリティと評価運用
結果に対して、後でどのAgentが何をしたかが確認できるか/改善できるか
この取り組みはまだ実証実験段階であるが、日本のマーケティングの進化について各社が協調的な視点で協働していくことが必要である。dentsu Japanでも、安全、正確、信頼できるAgentic Workflow(AI Agentが自律的に連携・実行する業務フロー)の実践知を広告/マーケティングのエコシステムの実行に係る各社の皆様と蓄積して参りたい。
最後に~今日もAI、明日もAI。そこに愛はあるんか。
「今は過渡期だから」ということを社会人になってから20年ぐらいずっと言い続けてきている気もする(ちなみに古代文明の時代から”おじさん”は過渡期だと言っていたらしい。)。だが確かに今回のAIがもたらしうる変化は私の社会人生でも最大級に感じる。その進化や人とAIの関わり方、その価値の評価や真価のところはまだ始まったばかりということは間違いない。だからこそ、AIの力を最大限引き出し、ワクワクする未来へつなげていくために、過度な完璧を期待せず、保守的にもならず、自分自身の実務での活用の手触りを実感し、AIの個性と能力をしっかり観察すべしではないかと考えている。
リーダーがチームメンバーに対し、その個性や能力を見誤り、できない仕事や簡単な仕事ばかりやらせるのはよろしくない状況だ。逆に言えば、上手なAI(人)の使い手は、“今“の実務に価値のある形(=AI(人)にとっての成功体験)を積み上げることを通じて、AI(人)の個性を愛して、伴走・共同する。AI(人)への不安への目をそらさずに言語化し、冷静に事実に基づいてフィードバックをし、改善を促す。AI Agentの可能性と限界を、自らが日々アップデートする/誰かによって、なされていくこと自体を楽しんでいく。
AI Agentの能力を過信することも、過小評価することも、本質ではない。重要なのは、その可能性と限界を理解し、適切な役割を与え続けることである。人材マネジメントがそうであるように、AIとの協働もまたマネジメントの問題なのだと思う。
本稿で述べた統計との役割分担、組織との役割分担、企業間との役割分担は、すべてAIを万能視しないための設計思想である。
今日もAI。明日もAI。そこに愛はあるんか。
その問いに向き合うこと自体が、AI Native時代のリーダーに求められる姿勢なのかもしれない。
AI is not a genius. It's a teammate.