株式会社博報堂プロダクツ Cube事業本部 クリエイティブディレクター・アートディレクター
田中 心剛(Shingo Tanaka)
博報堂でのキャリアを経て、グループ横断のクリエイティブブティック Cube にて現職。アート×ストーリー×テクノロジーを掛け合わせ、記憶に残る“ブランド体験”をつくり出すクリエイティブディレクター。あらゆるコミュニケーションにおける「時間軸のある体験」を、アートとストーリーテリングを武器にしたプラニングとディレクションで拡張。さらに最新テクノロジーを柔軟に取り入れ、社会に新しい価値を提供するクリエイティブを志向する。AI Craft Studio 事務局リーダー。主な受賞歴に Spikes Asia、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS、朝日広告賞、交通広告グランプリ ほか。
はじめに
近年の生成AIの技術革新は、テキスト、画像、映像、音楽といったあらゆるメディア制作の根幹を揺るがしています。かつて高度な専門スキルと膨大な工数を要したビジュアル制作や映像制作は、AIへの「プロンプト(指示文)」入力というプロセスに一部置き換わりつつあります。おそらく多くの人が少し遠い未来の話だと考えていた世界。2025年、AIによるビジュアル生成クオリティは分水嶺を超え、本当に急速に世界は塗り替えられていきました。この変化は表現活動の「民主化」をもたらしました。一部の専門家による独占領域であった表現活動が、一般層へと開放されたということです。しかし、この急速な世界の変化は、広告業界おいて新たなジレンマと構造的課題を浮き彫りにしています。
蔓延する「同質化」と「AIスロップ」問題
生成AIの普及に伴い、広告業界には新たな影が落ちています。アルゴリズムが学習データから導き出す「正解」は、得てして平均的で、どこかで見たような没個性的な表現に陥りがちです。この「表現の同質化」は、ブランドの生命線である「差異化」を無効化させかねません。
さらに深刻なのが、SNS時代に表現活動の民主化が進んだことで、再生数やインプレッションのみを追い求めた、低質で不快な「AIスロップ(粗悪なAI生成物)」が氾濫しはじめたことです。こうしたコンテンツの増殖は、広告活動の主戦場であるビジュアルコンテンツに対する信頼を損なうだけでなく、生成AIそのものへの嫌悪感を醸成するリスクを孕んでいます。
広告会社はそんな状況のなかで、AI活用を前提としたビジネスの効率化という「効率の要請」と、ブランドの品格や独自性を守りながら、新しい価値を生み出すことを目指す「クリエイティブの本来価値の希求」の狭間で、かつてないジレンマに直面している状況と言えるでしょう。
「ジェネレーター」という職能の新たな可能性
この閉塞感を打破するためには、これまでの組織や職種、役割などにとらわれない、新しい職能の必要性が出てきています。それが、新職能人材「ジェネレーター」の擁立です。顧客化接点実装事業会社である博報堂プロダクツでは、その答えとして専門チーム「AI Craft Studio」を設立し、「ジェネレーター」を配置しました。
ジェネレーターとは、単にAIを操るオペレーターを指す言葉ではありません。彼らは、ビデオグラファー、ディレクター、プランナー、レタッチャーといった、従来の制作現場で磨き上げられた「確かな腕」を持つクリエイターたちのことを言います。
「何が美しいか」「何が心を動かすか」を知り尽くしたプロフェッショナルが、AIという無限のバリエーションを生む「新しい筆」を手にする。この「感性」と「演算」のハイブリッドこそが、ジェネレーターの本質です。そして、特定の工程にAIを当てはめるのではなく、あらゆる創造的プロセスにAIを「乗算」させることで、人間単独では到達できなかった、あるいはAI単独では描き得なかった、倫理性を持ち合わせた価値あるクリエイティブの創造を目指さなければなりません。
また、企画とビジュアライズの同時検証が可能になったことによって、制作フローも進化していくでしょう。従来の制作フローではバケツリレー的進行方法が一般的でしたが、生成AIの活用によってアジャイル的な制作フローが可能になり、ビジュアル制作のプロフェッショナルが持つ従来の職能をもっと上流から活かすことができる可能性が高まりました。この制作フローの革新には非常に期待をしています。
「クラフトマンシップ」は、AIによって拡張される
私たちが目指すべきは、AIによる「自動化」ではなく、AIを用いた「人間力の拡張」です。
先端AI技術は日々、秒単位で進化を遂げています。様々な生成AIモデル、AIツール、AIプラットフォームが混在し、日進月歩アップデートし続けている現況において、ジェネレーターにまず求められるのは、最新の技術を常にキャッチアップし、プロジェクトごとに最適なモデルや手法を使い分ける最先端力、応用力です。そして、その技術を最終的に「価値あるブランドクリエイティブ」へと昇華させるのは、やはり人間の審美眼と倫理性、そしてブランドへの深い理解に他なりません。
AIが生成した様々な未完成の素材を、人間の属人的な感性と経験で選びとり、時にプランナーがそれを新しい企画のタネとして膨らませ、時にディレクターがその断片から心揺さぶるストーリーを紡ぎ、時にレタッチャーが本物の超える命を吹き込み、それらチームの連携によってブランドクリエイティブとして必要な哲学を宿す。この緻密な「クラフトマンシップ」の介在こそが、AIスロップや同質化コンテンツと一線を画し、受け手の記憶に深く刻まれるブランド体験を創出する鍵となるのです。
また逆説的に考えると、従来のビジュアル制作における「クラフト」という概念は、生成AIの登場によりその価値が拡張されるということでもあります。よく生成AIの台頭によって、考え判断することの価値が高まり、つくることの価値が下がる、と言われることがありますが私はそうは思いません。「つくる、考える、判断する。」このプロセスが生成AIによって一体化し、そのプロセス全体に「クラフトマンシップ」を行き渡らせることこそが価値になる。それが生成AI時代の新しいクラフトという概念なのではないか、と考えています。
組織力と適切なスケジュール設計で対応する「リスク管理」
生成AIの無限の可能性の背後には、等しく「リスク」が潜んでいることを忘れてはなりません。企業が公式に発信していくブランドクリエイティブにおいて、生成AI活用が直面する課題は大きく分けて2つ。「権利」と「品質」です。
1. 著作権/知的財産リスク
まず生成AIによるビジュアルクリエイティブにおける最大の懸念事項は、映像、キャラクター、作風、音声といった要素が、意図せず第三者の権利を侵害してしまうリスクです。この不可視な境界線を守るため、独自の厳格な運用ルールを敷く必要があり、例えば「AI Craft Studio」では、以下のような運用ルールを設定しています。
・モデルの選定と機密保持:
リスク管理部門が安全性を精査した生成AIモデルのみを厳選して使用。また、クライアントの機密情報を安易にアップロードしない体制を徹底しています。
・Identicality(完全一致)の回避:
リファレンス画像(参考資料)と生成物が過度に似通ってしまうことを避けるプロセスを組み込み、オリジナリティの担保に努めています。
2. 品質/ブランド毀損リスク
もう一つの大きな壁は、生成AI特有の「ゆらぎ」です。一貫性の欠如や、物理法則を無視した不自然な描写(ハルシネーション)のまま納品することは、プロフェッショナルとして許されません。それらは視聴者からの指摘を招くだけでなく、最終的にはブランドそのものの価値を傷つけることになります。私たちはこの「AIの不完全さ」を以下の手法で補完しています。
・ジェネレーターによる厳格なセルフチェック:
作品全体の整合性を作業者自身が厳しくチェックし、エラーを初期段階で摘み取ります。
・ハイブリッドな編集体制:
AIで解決できない細部の違和感は、熟練のクリエイターによるレタッチや本編集作業で徹底的に修正。時にはカット内容そのものを変更する柔軟な判断も厭いません。
生成AIは魔法の杖ではありません。こうしたリスクを管理し、高いクオリティを維持するためには「余裕を持ったスケジュール管理」も不可欠です。テクノロジーがもたらした速さに安易に流されるのではなく「精査する時間/ブラッシュアップする時間」を確保する。それこそが、AI時代における新しいクリエイティブの誠実さであり、ブランドを守る方法だと考えています。
おわりに
我々は、生成AIをクリエイターから仕事を奪う「敵」と捉えるのではなく、人類が手にした「新しい絵筆」と捉えることが重要だと考えています。博報堂プロダクツが提唱するジェネレーターという在り方は、技術に翻弄されるのではなく、技術を乗りこなし新しい表現の地平を拓くという、プロフェッショナルとしての力強い決意表明でもあります。
社会にとってAIが「あって当たり前」のインフラとなり、クリエイティブ制作領域での活用も日常となった今。重要になるのは、AIによる平均的な出力を超え、いかに受け手の心に響く「ブランド体験」を生み出せるかです。この課題を乗り越えるには、人間の強い意志や属人的な感性が欠かせません。この挑戦は、広告業界に留まらず、AI共生社会における「次世代の創造性」を占う試金石となるでしょう。今年度、正式に部署として発足した「AI Craft Studio」の新しいチャレンジに、どうぞご期待ください。